C5編成運用離脱/N603編成運用開始
N603編成は未撮影ですが記事だけ書いときます(
8月下旬、115系C5編成がN603編成の運用開始に伴って運用を離脱しました。
具体的な運用離脱日は判明していませんが、N603編成が8月29日に中央本線内で運用を開始したこと、9月1日にC5編成が長野総合車両センター内にて目撃されていることから、8月27日~8月31日の間に定期運用を離脱したと思われます。
編成は次の通りです。
・C5編成
【立川方】
クハ115-443(WC)
モハ115-417
モハ114-443
モハ115-394
モハ114-420
クハ115-496(WC・車椅子スペース)
【長野方】
・N603編成
【立川方】
クハ211-3(WC)
モハ211-5
モハ210-5
モハ211-6
モハ211-6
クハ210-3
【長野方】
※WC=トイレのある車両
C5編成の廃車に伴い、115系長野車C編成(6両貫通)は残り11本
となりました。
なお、運用を終えたC5編成は廃車待ちの車両が留置されるレーンに留置。どうやらこの編成もC4編成同様にすぐに解体されることはなく、運用離脱から1ヶ月が過ぎた10月9日にモハ114-443とモハ115-417が解体線に入ったとのこと。
なおクハ115-443は、先日10月11日に長野総合車両センターで行われたイベントで落書き電車として展示されたようです。こうしてC5編成は使命を全うしました。
全体としては少数派ながら、300番台のリニューアル車で初の廃車となったC5編成。その過去をここでは振り返ってみます。
C5編成は300番台のグループでありながら、400番台の車番の車両が編成内に6両中5両組み込まれています。そのため、基本的に製造順に番号が大きくなる300番台においては後期に製造されたグループで、その中で両先頭車とイベントを前にして解体されたモハ114-443・モハ115-417は300番台の最終増備グループ。これらの車両は1977年12月6日に製造され、その後1週間も経たずに1000番台で一番最初に製造されたC8編成のクハ115-1005(1977年12月12日製造)が製造されたようです。
長らく宇都宮線や高崎線などで活躍を続けたこれらの車両ですが、E231系による置き換えに伴って転属。小山所属末期は現在の編成の中間にサハ115-1003を挟んでY420+Y417編成として活躍しており、サハを脱車して現在の編成となったと思われます。
2001年9月25日に松本に転属、比較的初期の300番台と1000番台の混結編成だったB4編成を置き換えました。そのため後期製造グループの300番台が更に車齢の若い1000番台を置き換えることとなります。
手元に残る最後の編成写真がこんなものだったなんて言えない()
長野に転属しリニューアル工事と塗装変更を受けたC5編成ですが、300番台で組成され、列車番号がLEDのまま残る姿は小山所属の車両の末期に比較的よく見られた特徴を残していたと思います。
私事ながら、学校帰りや松本へ行く際などによく乗車した編成であり、300番台の特徴である、通勤電車ではありえない車端部のボックス席でよくくつろいだものです((
製造から約37年、松本転属から13年。長らくの活躍お疲れ様でした。