普通列車立川行き

頑張って一眼に慣れます

2/7 富士急行線・フジサン特急2000系ラストランイベント

2日連続で東京から河口湖へ…いや~キツいっす(小並感)

地元から新宿、新宿から京王線で高尾、高尾から525Mで大月へ。

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前日夜に多摩の山間部や山梨県では雪が降ったようで、6000系列は午前中は霜取りパンタグラフを上げて走行していることが多かったです。

こいつに乗って河口湖へ…

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ちょうど4540Mで発車準備中の211系がいました。

371系と田窓の205系に行先表示がLED化された211系が富士山を背にして大集合!昔の方々が見たらどんな顔をするんでしょうかね…

 

さて、4540Mとフジサン特急を俯瞰で撮ろうと、天上山(カチカチ山)へロープウェイを使って登ることに。ですがいざ辿り着いてみるとド逆光だったり木の枝が目だったりで俯瞰には適していない…ということで諦めて展望台から広がる富士山と河口湖の風景を撮影。

 

 

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もう少し早く来れれば雲ひとつない状態で見れたと思うのでちょっと惜しいですね…まあロープウェイが9時半まで動かないのできつかったと思いますが(

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富士の裾野に広がる河口湖の市街地と共に。(木が邪魔でしたね)

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展望台から山道をちょっとだけ登り山頂へ。木が生い茂っている中から富士山を覗くような写真が撮れます。

軽装備で冬山に挑んだのもあって山道を下る時に背中から滑って転んでコートに泥がついてしまいました。完全に馬鹿でした…

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展望台の近くから河口湖と市街地を。

本当はかなり広角気味に撮って大パノラマをアピールできる写真にしたいところでしたが、ロープウェイの建物がモロに写ってしまうため厳しい状況でした。

今度は夜景を撮りに行きたいですね~

 

ロープウェイで下山して河口湖駅に戻るとちょうどフジサン特急がやってきました。

前日乗車したものの車内の写真があまり撮れず、富士山駅までの乗車の最中に撮影

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さすがは元グリーン車とあって、温かみのある照明、妙にゆったりしたシート。俺好みのもの。

リニューアルしたはずなのにどこか古臭さを感じるあたり昭和から平成初期にかけてのジョイフルトレインの面影を感じさせます。

 

さて富士山駅で下車し、14時10分からの運転台見学に並ぼうと思ったのですが…なんとおよそ2時間前の時点で20人以上が並んでいました。

空腹に耐えかねた僕はすぐには並ばずにモスバーガーで絶品ベーコンチーズバーガーのサラダセットを食べ、食べてから並ぼう…とのんきなことを考えていたわけですが、食ってる間に列が60人ぐらいになっていたものであらびっくり。

時間の関係上1人1~2分になることは間違いないわけですから、ここから1時間半近く並んでも運転台が見れる保証はない…と確信し、諦めることに。

しばらくはいろいろ撮って暇つぶしタイムということにしました。

 

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大月から折り返してきた2000系がやってきました。このあたりから降りた客が運転台見学の列に向かって猛ダッシュする異様な風景が見られました

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河口湖で折り返した2000系は運転台見学イベントの為富士山駅1番線へ。

定期運用でここに入ることはないのでちょっとレア、と言いたいところですがそれはさておき。

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方向幕にさよなら2000系の紙が入り助手席側にヘッドマークを置いていました。

反対側の展望席側にも「惜別」などの紙が貼られていました。

 

長く停車してじっくり撮れる機会はもうないので、貴重な急行型の床下機器類なんかも撮影。

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DT32B台車(クモロ2201・元クモハ165-127→クモロ165-3)

国鉄の急行型・特急型の多くの車両に採用されてきたこの台車。この台車が採用された車両でも車体が比較的新しい車両(107系・413系・185系など、ただし413系の体質改善工事車はほぼ同等の新しいタイプの台車に交換されました)は未だにこの台車を使って走っているあたり、汎用性の高さがよくわかります。

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モロ2101(元モハ164-850→モロ164-803)の低屋根構造。

東日本旅客鉄道八王子支社豊田車両センター115系W2編成(訓練車編成)のモハ114-827が廃車、そして2000系2002編成の廃車によって、国鉄型の低屋根構造車はこの車両が最後のものとなりました。

写真ではわかりづらいかもしれませんが、屋根の厚みが他の車両に比べるとパンタグラフ取り付け部においてやや小さくなっています。115系800番台に比べると外見上の差もややわかりづらいかもしれません。

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2000系で採用されたデザインでも、残念ながら8000系では採用されなかったデザインもいくつか存在します。

このキャラクターは「逆さ富士」…ではなく「ジフサン」といいますが、フジサン特急キャラ選挙においては75番目、新デザインを含めて50しか8000系のデザインには採用されないことになっていたため残念ですがボツということに。

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逆さにして撮ってみました。この適当感ある妙なデザインがすき。

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8000系とも並びました

右はガハハって笑ってんのに左は思いっきり泣いててなんかかわいそう(笑)

 

この後はトーマスランド号で河口湖へ、2000系の大月行きのラストの便の自由席を求めて並ぶわけですが…なんと自分たちの前に既に50人以上の列ができていました。

前日に乗車したときはこの時点ではたった3人しかおらずほぼ一番前にいた自分は着席競争に完全勝利したわけですが、この日ばかりはそうもいかず。

列はどんどん長くなり、最終的に(たぶん)120人ぐらいになったと思います。

更に空はどんどん曇り、気が付けば雪が降ってきて気温は氷点下に。

そんな中多くの方々が自由席を求めて並んでいました。

 

で、自分たちは前から数えると定員ギリギリのラインにいたわけですが…残念ながら完全に敗北でしたw

デッキからちょくちょく顔を出してラストランのセレモニーの様子をみたりしまして、雪の降る中河口湖を発車。

その後富士山発車後になりまして車掌によるラストラン放送が行われました。

文字に起こしたので詳しくはこちらも参考にどうぞ

 

大月で折り返して本当のラストランにも乗りたかったところですが…家の事情で早く東京に戻らねばならないので断念。発車を見送りたかったところですがちんたらしていると立川行きを逃してしまうのでそれも断念。ということで…

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光量のある貫通顔の方をバルブして帰ることに。

そして東京へ帰りました。

 

中央線ばかり撮っていてそもそも富士急行線にあまり縁がなく、大月に行ったついでにちょっくら撮るということばかりでしたので、縁もゆかりもある車両ではありませんし、デザインも奇抜すぎてあまり好みの車両ではありませんでした。しかし、車齢が50年近い中、故障も多くJRにも予備部品の在庫がない中(とラストランの放送でおっしゃっておりました)でここまで走らせてきた富士急行の意地とメンテナンス技術はただならぬものではないと感じさせます。

車内に掲出されたラストラン仕様の現場職員による手書きメッセージには特に冬季や雪の時の取り扱いが大変だったと書いてあり、山梨県でも比較的雪の多い地方である都留や富士吉田、河口湖を結ぶ路線柄とあって今日に至るまでの現場の職員の方々の苦労と努力が相当なものであったとわかりました。

国鉄やJRの車両の歴史の上で、また山梨県を走る鉄道車両の歴史として外せない「低屋根構造車」の存在。用途はどうあれ、そもそも富士急行線はトンネルが1か所しかないという話もありますが、この車両が低断面の多いトンネルに盆地を挟まれた線区である中央線において東京や長野方面と山梨を結ぶ手段として大きく役に立ったことは間違いないでしょう。

そんな低屋根構造車が歴史の波に逆らえず消えてしまうのは寂しいものですが、そういった車両の車齢も次々と限界に近付いて廃車される中で、予備部品もないなどという条件の元で残してきたのですから驚くものです。よくぞここまで残してくださった、と思います。

 

お会いしたエムニィ氏、ふじかわ氏、万治氏、ピ氏、甲府機関区氏、sukamaro氏、その他撮影された方お疲れ様でした~